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YU IIDA MEMORIAL

記念館

  • memories

回想録 -No.1-

  • 氏名:
  • 大西 律子

  • 寄稿日:
  • 2024年6月22日

  • 使用楽器 Violin:
  • Yu Iida 1991 Makioka(MODEL : D.Montagnana)

飯田裕氏に初めて会ったのは、私が高校生の時ですから、彼はまだ30代後半だったでしょう。
当時お住まいだった東京•新百合ヶ丘の御自宅へ、華代子夫人のレッスンを受けに行った時でした。
私が余りにも下手過ぎたという事もありますが、正直に白状しますと『髪の毛も髭も長くてコワイヒト』だと感じてしまいました。
子供だった私には、彼の生き様や本気度が理解出来なかったのです。

樅楓舎のコンサートは聴いた事もありますし、大学1年の時からは何度も一緒に弾かせて頂きました。
他の何人かの学生達と一緒に、ドイツやイタリアに連れて行ってもらったのは、確か大学4年の夏休みだったと思います。
レッスンを受けさせて頂いたり、野外オペラやラヴァローネの林森に同行させて頂いたり。
今思い返せば、初めての海外旅行に浮かれてばかりで勿体無い事をした、もっと深く味わっておくべきだった!と思います。

そのツアーの直前に、私の楽器
《1991 Makioka》(D.Montagnanaモデル)
が出来上がり、
「おい、りっちゃん、小さくしといたぞ」
と渡されました。
そんなこと頼んだっけなぁ⁇

体の大きさ、いえ小ささでは随分からかわれましたっけ。
樅楓舎で弾かせて頂く時いつもVn.1だったので、
「いつ2nd.にしてもらえるんですか?」
と訊いたら、
「大きくなったらな」
とニンマリ言われ、いまだにVn.2.を弾かせてもらった事はありません。
(私ではなく!)楽器が小ぶりだから高い音の方が良いだろう、という御判断なのですが‥。

同じ楽器を使い続けて30ン年。
仕事し始めで駆け出しの頃も、色々分かり始めて弾くのが怖くなった時も、いつも助けてくれました。
私の弾き方が悪いと教えてくれます(あまりよく鳴らないとか)し、うまく行っている時はより美しく歌ってくれるので嬉しく弾けます。
私以上に私であるこの楽器を、一生手放す事は無いでしょう。
人生の最後まで、苦楽を共にしてもらうつもりです。
私の死後も生き続けるこの楽器、次の所有者にもその次の人にも、生涯の伴侶となるよう祈りつつ‥

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